REPORT-4-3

Report – 4

韓国における身体的技法について

Team D : 鬼束実里 木田夕菜 水溜友希 野間口夕琳

(3)調査2日目(8月27日)


● 朝食

今日も韓国は朝から辛い。朝食で全州発祥のもやしクッパを食べながら、他の班員の顔も疲れたと言っているのに思わず笑ってしまう。
店内には、私達実習メンバーの他に一般のお客さんも来ていた。「大学生くらいだろうに、こんな早くから朝食をわざわざ食べに来るんですね」と、感心してしまう。「ああ、あれは朝まで呑んでいたんでしょう。そのシメです」いたずらっぽく笑うキムさんだが、経験からでた発言であろう。
本当に恐ろしい場所に来てしまった。料理と一緒に出されたヤクルトを飲みながら、今夜の飲み会を憂う。このコースは教授が酒豪なのだ。ふと斜めを見ると、水溜君も泣きそうになっている。同じ気持ちなのだろう、励ましの意味を込めてうなずくと、それには応えてくれずに「辛い。」と言われ拍子抜けである。どうやら、間違えて青唐辛子を食べてしまったらしい。「大丈夫?」と水を差し出す木田さんの言葉が心にしみる。今夜の飲み会も大丈夫なはずだと自分に言い聞かせた。
店を出ると、曇天だった空も機嫌を直し頑張ることにしたらしい。調査2日目のスタートである。

● カフェにて

初めての異文化との接触で輝いていた全州の町並みも見慣れてきた。嫌に目につく煙草の吸い殻を避けながら、キムさんに連れられ、他の韓国人学生が待つカフェへと向かう。
カフェに着くと、日本人学生と韓国人学生が別々に座り今日の調査について打ち合わせを行うことにした。
前日に観光地での目視を行ったため、もっと様々な身体的技法を観測できる場所はどこになるのか話し合いを行う。私達は韓国人の信仰に着目し、教会や納骨堂での観察をすることを韓国人の学生に提案した。すぐにアポイントメントをとってもらい、午後から教会へ、納骨堂へは明日行くことになった。
なかなか減らないコーヒーと格闘しながら、外を歩く韓国人を観察していると、キムさんがどこかほっとした顔で話しかけてきた。
「ジウォンさんのご両親から、家での調査を行ってもいいと許可がでたようです。教会に行った後、ジウォンさんの家にお邪魔させていただきましょう」
私達は快く承諾し、韓国人の家庭の様子を観察できる機会を用意してくれたジウォンさんに感謝した。それと同時に、日本からお土産に渡せるようなものを何も持って来ていないことを激しく後悔した。手ぶらで行くわけにもいかないと、日本語とハングルを交ぜてお礼の手紙を書き、調査に備えた。

● 教会にて

昼食にトッポギを食べ、プロテスタント系であるホープ教会に向かった。一見するとビルのような建物の上の方に十字架がかかっており、よく観光などで巡るような教会とはイメージが異なった。韓国人含め、私達の班にはキリスト教信者は一人もおらず、教会という場所はとても新鮮であった。
丁度若い人向けの礼拝を行っており、それを見学できることとなった。礼拝は大学の講義室のような場所で行われていた。ドラムセットやシンセサイザーの置かれた壇上で牧師さんが説教をするという構図は、私をひどく驚かせた。
牧師さんと傍聴者に注目しながら観察を始める。マイクを左手に持ち、右手を動かしながら熱弁する牧師さんは、話に感情移入しているのか胸に手をあて、なにかをつぶやきながら涙を流した。
聖書に関する知識がほぼないために、何を話しているのか韓国人の学生に訳してもらっても、理解することが難しい。 観察を続けていると、険しい顔をしていた急に牧師さんがこちらを向き、笑顔で「来てくれてありがとう。」と伝えると、またすぐに真剣な表情に戻った。どうやら、日本人が来るのは珍しいことだったらしい。話を聞いている若者も、時折興味深そうにこちらを見ていた。
その若者達は各自で飲み物を持参しながら話を聞いており、祈りの場面では両手を組んで涙ぐむ者もいた。日本で信仰を公に表す人をあまり見ないために、若者のそのような姿を見て、宗教観の違いをまざまざと感じた。
最後に賛美歌を歌って、礼拝が終了する。壇上にあったシンセサイザーとドラムセットは賛美歌の演奏のためのものであった。パイプ式とまではいかなくても、オルガンの伴奏で賛美歌が歌われることを期待していた私は、密かに肩を落とした。

△図 6 ホープ教会の外観

△図 7 礼拝が行われた場所

● ジウォンさん宅にて

ジウォンさん宅に向かう前に、キムさんがジウォンさんのご両親にお菓子を買ってきてくれた。他人の家にお邪魔する時には、手土産を持参するのは韓国でも同じらしい。キムさんの心遣いに感謝した。
ジウォンさんの住むマンションにつくと、サンダルで来ていた韓国人学生が靴下を履きはじめた。不思議そうにそれを見ていると、韓国では初めてお邪魔する人の家で裸足なのは不作法になる、ということを教えてくれた。
班員はジウォンさん一家を囲んでテーブルに着いた。「足を崩してください」とお父さんに言われ、韓国人学生が足を崩す。女性も男性もあぐらをかいており、かしこまりすぎて正座をし続ける私達からしたら、とても羨ましかった。
「これをどうぞ」と言って出されたのは、韓国の果物と全州の名産のひとつである五味茶である。ジウォンさんのお父さんが食べ始め、キムさんも手をつけたのをみて私達も食べ始める。五味茶の甘くて苦い、独特な風味を味わいながら、日本とは異なる食感の桃に驚いていると「これ高いんですよ」とジウォンさんが笑顔で言った。とたんに口の中が重くなり、高価な果物に見合うように失礼の無い行動をしなければ、という意識が強くなった。日本人の悲しい性である。
ジウォンさんのご両親がいらっしゃるからであろう、韓国人学生も日本人学生もどこか緊張しており、ほんの少しだけ張り詰めた空気がなかなか抜けなかった。しかし勇気をだして、日常のことについて尋ねてみる。
ジウォンさんの家庭では、家族でご飯を食べる時には、全員がそろってからお父さんが箸をつけたら食べ始めるらしい。先ほど果物が出された時に、お父さんが食べ始めるまで誰も食べなかったのはそういうことかと納得してしまった。また、「いただきます」のような食事の号令が無い文化ならではだと感じた。
また、お父さんが家を出る時は玄関を出てエレベーターまで見送り、帰宅した時は玄関まで迎えに行くと聞いた。そう話すジウォンさんのお母さんは、お父さんの斜め後ろに寄り添うように座っており、本当に仲のいい夫婦なのだなとほっこりした。
韓国では、家庭の中でも敬語を使うという印象が強かった。しかし、ジウォンさんのお父さんやキムさんが子供の頃は厳しかったが、現在では薄れてきているらしい。それに伴って、親子での上下関係も厳しくなくなったと予測される。目視によっては、日本と大きく異なるような尊敬を表す身体的技法は確認できなかった。
日本と韓国のビールについて話していた時である。なぜかベランダにあった、飲み物専用の冷蔵庫からお母さんが韓国のビール「カス」を持ってきて、お父さんに手渡した。お父さんは韓国語で何かを言いながら、ビールを持っていた片手を少し上に上げた。もちろん笑顔である。察しのいい班員達は、日本語訳が無くともお父さんが何を言っているのか分かってしまった。呑ませていただきます。
連日の飲み会で、飲みの場での礼儀作法は学習していた。杯をついでいただく時には片手を肘に。そしてお父さんのグラスよりも低い位置でグラスを乾杯し、口元を隠しながらビールを飲んだ。班員全員ともこの動作を行っていたので、私は心の中でみんなに花丸をあげた。無駄な飲み会などないのである。
五味茶に加え、ビールも飲みながら韓国の家庭の日常について引き続き尋ねていたところ、「お風呂の順番などは決まっているのか」という疑問が日本人学生からでた。ジウォンさん一家を含む韓国人全員が不思議そうな顔をした。
「お風呂ですか?お風呂は別に順番などは無いですね。シャワーだけなので」とジウォンさん。日本人の感覚で言えば、湯船につかるので一番風呂に誰が行くのかは重要な問題であるように感じる。しかし、湯船につからない韓国人からしたらそんなに重要な問題では無かったらしい。異文化の中での日本を改めて実感した。
韓国の文化やジウォンさん一家が日本へ旅行に行った話などを聞き、緊張感漂う雰囲気も和らいだ頃、時間がせまってきたために解散となった。
「今日せっかくできた縁です。ずっと仲良く、良い関係でいられるように大切にしてください」というお父さんの言葉に感動した。沢山の心遣いに感謝である。別れの際に、カフェで書いた手紙を渡すと想像以上に喜んでもらえた。私達の感謝の気持ちもわずかながら届いたことであろう。

△図8 ジウォンさんの家で出された五味茶と韓国の果物

△図9 ジウォンさんのお父さん(左)にお酒をつぐキムさん(右)

(4)調査4日目(8月28日)


● 全北大学附属幼稚園にて

韓国に滞在してから4日目を迎え、中間発表会があるこの日は、全北大学の付属幼稚園を訪れることから始まった。イム先生から、日韓では親子間でのコミュニケーションに顕著な差が見られると助言をいただいたため、幼稚園にて園児の登園の様子を観察することに至った。
まだ朝8時過ぎにも関わらず、幼稚園の前には次々と車が停められる。共働きの家庭も多いため、出勤前に子どもを幼稚園へ送るのだという。車から降りてくる人に目を向けると、母親に加え、父親や祖父母らしき人も度々見かけられた。園児と手を繋ぎ、保護者は子どもの通園バッグを肩にかけ園内へ入っていく。しばらくの間観察を続けていると、保護者同士は軽い会釈をする一方で、保護者と園児は、先生に対して深いお辞儀をする様子が分かった。挨拶の様子に日本と大きな差は見られないながらも、私達はある違和感を感じた。それは多くの園児が通園している時間にも関わらず、園庭は閑散とし、寂しげな雰囲気すら漂っている。その違和感の原因は、先生が校門まで、園児を迎えていないことにあるのではないかと考えた。日本では、概ね先生が校門の前で登園してくる園児を迎え、元気な挨拶が交わされるのが、日常の光景であるが、ここでは先生の姿は校舎の外で見られないのである。先生は校舎の中で園児を迎えるのであろう。
調査当時は、園庭にある遊具は工事中であり、園児が遊ぶ様子や園児同士のコミュニケーションの様子は、外から観察できなかったため、登園後の園庭での様子について比較できなかったことは、残念であった。
また、現地学生から聞いた話では、韓国における「幼稚園」は、日本で言う幼稚園や保育園のような保護者が一時的に子どもを預け、保育してもらう施設である一方で、「保育園」は両親のいない子どもが生活する孤児院のようなものらしい。

● 中間発表にて

幼稚園での観察調査を終えた後、前日までのひとつひとつの身体技法を場面ごとに分類する作業を行い、中間発表の場でその結果を発表した。まとめ作業を行いながら、記録した身ぶり、しぐさがある程度収集できたことが、ここに来てある程度実感できた。これにより現地調査のはじめに感じていた、観察される身体技法の少なさへの焦燥感は、次第に私達から薄れていくこととなった。
発表後に、先生方から「韓国のテレビ番組を視聴してはどうか」といったメディアを活用する助言をいただいたが、動画の視聴などは帰国後でも可能なため、現地に滞在している間は、全州市内の施設を巡ってのフィールドワークに専念することとした。

● 昼食にて

この日の昼食は、辛くないものを食べたいという私達のリクエストに応え、現地学生の皆さんがとんかつを提案。店では、定番メニューであるというチーズとんかつを注文。切り口たっぷりについたチーズととんかつの相性は抜群で、久しぶりの日本食に安堵感を覚えた。ここでは、日本から来たことを聞いた店長さんがコーラとサイダーのサービスをしてくださった。思わぬ温かいおもてなしに心から感謝した。とんかつ定食には味噌汁が付いていたが、日本食と言えども、ここでもお椀は持ち上げずスプーンで飲むのが普通であると知る。

△図 10 全州の日本料理店のとんかつ

● 納骨堂及び墓地にて

調査場所を納骨堂へ移して、儀礼的な身体技法の観察を試みた。1階は、コインロッカーほどの大きさで仕切られた棚が並び、そのスペース一つ一つには、骨壷や花、亡くなった方の写真が納められていた。2階にも同様に骨壷などを納める棚が並んでいたが、棚の大きさが、キャリーケースを入れるほどの大きなものになっていた。西洋の王室に置いてあるような金や銀色の椅子も置かれ、2階全体が豪華にディスプレイされているようで、納骨堂とは思い難い印象を受けた。訪れた当時は葬儀が行われており、葬儀場から出てくる人々に目を向けると、右腕に輪っかの印を身につけている男性がいることに気づいた。キムさんに尋ねると、親族が亡くなった場合は、男性は右腕に輪っかの印をつけるという。輪の数にも決まりがあるようで、亡くなった方より1世代下は2本、2世代下は1本ということらしい。
納骨堂の近くにある墓地にも足を伸ばして向かうことにした。墓石は縦に平たい長方形の1つの石だけであり、高さは30㎝ほどであった。日本の墓石に比べ、高さは低く、シンプルな造りである。夫婦用の墓もあり、長方形のボックスティッシュほどの大きさの墓石が2つずつ、地面に埋め込まれていた。墓地に人はほとんど見られなかったが、ちょうど母親とその姉妹らしき女性2人が墓参りを行うところだったため、現地学生を通じて依頼し、その様子を見学させていただけることになった。2人は墓石へ2回お辞儀をし、その後、墓の横にお酒と食べ物を並べ始めた。亡くなった人に好きなものを食べて欲しいという願いから、故人が好んでいた食べ物を墓石に添えるように地面に置くという。地面を箸で3回叩き、墓の前に箸を横にして置いておくと、亡くなった人が食べる合図となる。このように、供物をする際には、様々な形があり、お酒を墓石の四隅にかける場合もある。墓参りから帰る際に供えたものを食べたり、捨てたりする家族もいることもキムさんから教わった。

● 公園にて

時刻は17時頃をまわり、今度は全北大学付近の公園へ。親子の触れ合う様子をベンチに座りながら観察することした。子ども連れだけではなく、散歩を楽しむ年配の方や、学校帰りに談笑する学生、風船やわたあめのようなものを売るワゴンなどもあり、夕方の公園は賑わいを見せる。3〜5歳だと思われる子どもと母親に目を向ければ、鳩を追いかけたり、鬼ごっこをしたり、ベンチでお菓子を食べたりする姿が見られた。公園を思い切り駆け回る子ども達の甲高い声が、池を取り囲む広大な公園にこだまする。日本の公園で見かける光景と特に変わった様子は、ここでは確認できなかった。

● 夕食にて

醤油や塩で味付けされたチキンを味わいながらも、私達の視線はイム先生の座るテーブルに向いていた。食事の場、特にお酒を飲む場での調査を行う機会も残り少なくなってきたからである。食事の場面に関する身体技法が多いと認識していた以上、自分達も食事中であれ、貴重な観察機会を無駄にすることはできなかった。
乾杯の瞬間が訪れると、学生は先生にお酒を注いでもらおうと、少し腰を曲げた姿勢を取り、両手でグラスを持って待っていた。先生がグラスに注ぎ終わると、軽く会釈をし、「ありがとうございます」の一言を述べる。注がれたグラスのお酒を一気に飲み干す様子は、もう見慣れた光景となってきた。私達学生間においては、料理やグラスを相手に差し出す時には、料理を持たないもう片方は相手の肘にそっと添える動きが見られた。加えて、握手を交わす時には、片手を添えるように後から差し出すのではなく、両手を同時に差し出す様子もあったのである。